何故、吉田拓郎さんは吉田町の若者共和国の依頼を引き受けたのでしょうか?この辺は私も詳しく知りませんでした。
ネットでカチャカチャさがしていたら、この若者共和国に属し、拓郎さんに依頼しに行った本人のサイト(とみけい どうらく堂)がありましたので一部紹介すると、
吉田町は若者にふるさと振興・人材育成につながるイベントを委託した。
その一環に地元の歌を作ろうというのがあった。
拓郎ファンだった本人が、「吉田」つながり(町名と名字)もあることから、
是非拓郎さんに歌を作って欲しかった。
受けてくれ易くするために全国に6つあった吉田町共通の願いということにした。
吉田拓郎さんは、「吉田町」のある鹿児島県で生まれ、「吉田町」のある広島県で育ったということもあり、快く引き受けてくださったようだ。
(ちなみに、経費の出所は新潟の吉田町から。)
若者共和国も拓郎さんも気持ちがいいではありませんか。
そのお陰で良い唄ができたわけです。ありがとう!
※当時、全国で○○郡吉田町があったのは、前述の新潟県、鹿児島県、広島県の他、埼玉県、静岡県、愛媛県で、姉妹都市(町)の縁組を結んでいたようですね。