(以前、高麗神社に立ち寄った時のことを「後で書こう」としていた…件。かなり間があいてしまった。)
「高麗」のことを知らなかったので、驚き、また感心した。どういうことかというと・・・
現在の埼玉県日高市と飯能市の一部は、昔々、高麗:こま(高句麗:こうくり)人の郷だった。
668年唐・新羅に滅ぼされた高句麗からの移民は、当時の駿河~下野など7カ国に移住していた。
716年、朝廷は各地に移住していた高句麗人(1799人)を武蔵国の一部であった当地に移し、高麗郡を設置したのが郷のはじまり。
高麗郡の首長として赴任してきたのが高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)で、未開の地を移民とともに開拓した。
その遺徳を偲びつくられた霊廟が、高麗神社のはじまり。つまり神社の御祭神は若光で、代々若光の子孫が宮司を務め、現在で60代目となる。
社殿に通じる鳥居と参道。
参道脇には、たくさんの献木があった。下の写真内だけでも在日大使や県知事、大臣に議員等々。
他の神社と違うな~と思っていたら、案内があった。浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが当社を参拝後相次いで総理大臣となったことから「出世明神」と広く知られるようになったらしい。近年でも政官財界からの参拝は多く、特に法曹界では最高裁判所長官や検事総長も…。献木が多いわけだ。
社殿手前の門の額には、「高句麗神社」とある。
社殿。
正面左側は小高い山。右側には大きな参集殿があった。
配置は↓。中心の左が社殿。
社殿と参集殿の間をぬけると、茅葺屋根の民家がある。代々神職を勤めている高麗家の住宅(昭和51年に解体修理済)。間口14.9m、奥行9.5m、総面積約37.5坪。
高麗式建築ではなく、江戸時代初期の民家建築を伝えている。国指定重要文化財でもある。
高麗の郷、高麗神社、高麗家、このような歴史があったんですね~。
(高麗の郷については、もう少し続きます。)