〔飛騨高山~上山田温泉の車旅:11/6~11/9〕旅行記3_11月7日(金)
◆飛騨民俗村・飛騨の里
飛驒の里は、豊かな自然の中に昔の飛驒の暮らしを再現した集落博物館。
ダム建設や過疎により手放さざるをえなくなった遺物。飛驒の北部の豪雪地帯の茅葺き民家や盆地の板葺き民家が移築され、民具と共に集積・保存している。
入館料を払い入口を抜けると五阿弥池(貯水池)があり、向う側に幾つかの茅葺き民家。

リーフレットに示された“おすすめコース”3種類の中から、40分コースを進む。
○旧田中家(国指定重文)桁行12.1m 梁間10.9m /江戸時代中期
「榑」と呼ばれる板を葺き、石を置いた切妻造りの建物。小屋では榑板を保存している。

榑(クレ)板は、丸太を割り、マンリキという道具でほぼ均等の厚さに一枚一枚裂いて作る。ほぼ均一の厚み、なめらかな表面。裂いたとは思えない仕上がりだ。
材料はネズ、サクラ、カラマツ、ナラ、クリなど。当地ではクリ材での榑葺き。
○旧田口家(国指定重文)桁行25.2m 梁間13.3m /文化6年(1809)
名主を務めた大きな家で集会にも利用された。豪雪地ではない飛騨地方の南部に所在した。雨戸の外側に廊下がある。当初は榑葺きだったが、移築時に鉄板葺きとなる。

○旧若山家(国指定重文)桁行17.1m 梁間12.5m 高さ約15m /寛政9年(1797)
1重4階で切妻造茅葺き。土地の名士で、建物は広く立派な造りである。

2階から上は主に養蚕(カイコの飼育場)として活用。2階の広い空間を見学。/合掌造りの構造模型があった。棟木を支える叉首(さす)にキザハシ(階段)あり。

茅葺きは20~30年の耐久力があるそう。ここは近年葺き替えたようだ。/屋根の内側に並び付けられている「ヤナカモタセ」は合掌屋根と家本体の隙間をふさぐ茅の束。

荘川や白川の大家族は一軒の家に家長をはじめ兄弟、使用人家族など数十人が暮らしていた。囲炉裏の周りに家長・女性・男衆・子供たちの座る位置が示されている。

放水銃が設けられていた。各民家にはドレンジャーという放水装置が設置されている。

紅葉と旧西岡家。(池越しに見えていた合掌造りの茅葺き民家)

旧富田家(2階建、入母屋造茅葺き)前では、見学客が入れ替わりで写真撮影が続く。

ジャマだな~と。でも、何で?・・・見ている方向には雪をまとった飛騨山脈が!

坂を下りると出入口に近い五阿弥池のほとり。

見どころ多く70分ほどかかった。興味深い施設だった。
Webサイトより:飛驒は気候が厳しく貧しい土地だった。知恵を絞り、手の技をもって生き抜いてきた人々がいた。飛騨の里で感じていただきたいのは、昔の日本人が培ってきた、現代に通じる「自然への深い眼差し」と「知恵の集積」です。
合掌造りや朽ち果ててゆく民具を救い出したのは、これらを未来の日本人にしっかりと伝えるためなのです。
◆ランチ:飛騨牛朴葉味噌焼き御膳
同僚から飛騨牛を食べるならと勧められていたのが高山グリーンホテル内の和食屋でのランチ。飛騨牛もいろいろあるし、ディナーでは高くなるから、ランチでも間違いない飛騨牛が食べられると。
見学が終わり、時刻は昼の12時頃。念のため電話し、席を予約してから向かった。
席に通され、メニューから選んだのは“高山といえば”の「飛騨牛朴葉味噌焼き御膳」。

広角で撮ってしまい、朴葉味噌焼きが小さく見えるな~。飛騨牛は口の中で直ぐ無くなった。他の盛り合わせなどすべて美味しゅうございました。
敷地内には「飛騨物産館」という大型のお土産処があったので、ここでお土産をまとめて購入することにした。
一画に「さるぼぼ神社」があり少し驚いた。「さるぼぼ」は飛騨の民芸品でマスコット。

赤い顔に黒い腹当てのさるぼぼは、高山の店先のそこかしこで見かける。何故ここに神社が?わからないけど、安房トンネルと飛騨トンネルの貫通石が祀られていた。

Webサイトによると、この貫通石がご神体らしい。どんな岩をも通す。どんな困難な願いも通すことを祈っているとのこと。
この後、宿泊先ホテルに車をとめ、街並み散歩へ行くことに。