1月19日(月)、両国界隈散歩。
江戸時代を舞台にした時代小説を読むと回向院の名は時々見かける。江戸の大半を焼き尽くした「明暦の大火」による無縁仏を御堂を建てて弔ったという。名前は知っていたが、実際に訪れるのは初めてだ。
〔回向院は、今からおよそ370年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院〕
回向院の正門。左右に仁王像が安置。道路に面した敷地の幅は思ったよりも狭い。

明治の廃仏毀釈や大正の大震災、第二次大戦下の大空襲などによって、存亡の危機に立たされた。ということもあり敷地や正門の位置など江戸の頃とは変わっている。
参道を本堂に向かって進む。ここの左側で江戸後期から勧進相撲(回向院相撲)が76年間行われていたという。(旧両国国技館が建立されるまで)

正面が本堂。右に念仏堂がある。本堂の屋根は何だろう?見慣れた感じではない。

左側から眺める。RC・S造の建物に屋根状の骨組み?が乗っている。

調べてみると、ビルっぽさを醸し出していた本堂に伝統的なお寺らしい風格を作り、防水性などを向上させるために、屋根工事を行ったようだ。
本堂手前に大きな「力塚」の碑がある。
1936年に相撲協会が歴代年寄の慰霊のために建立したもの。相撲発祥の地のシンボルになっており、新弟子たちが強くなるよう祈願する場にもなっている。

本堂の東側には道路から見えなかった境内が広がり、多数の碑やお墓があった。
「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」という当院の理念によるもの。
三界萬霊の碑。この世のあらゆる精霊や霊魂を供養する。左側には水子塚。

明暦の大火、安政の大震災、浅間山大噴火、関東大震災などの供養塔。

馬頭観音堂(後方)、犬猫供養塔、小鳥供養塔などもある。

義賊として知られる鼠小僧次郎吉(中村次良吉)のお墓。長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習があるようだ。鼠の左隣には猫塚・・・。

いろいろと奥の深い回向院であった。
正門の前面道路(国道14号)を西側に行くと、隅田川に架かる両国橋となる。
親柱・橋燈は、直方体の親柱の上に球体の橋燈が載っていてユニーク。球体は地球?花火玉(煙火玉)?何だろう。上空は首都高が横切る。

南側(下流側)から隅田川・両国橋を見る。最初の両国橋が架けられた頃、西側の武蔵国と東側の下総国にまたがっていたことから両国橋と呼ばれた。現在の橋よりも下流側にあって、正面に回向院が見えたらしい。ちょうど撮影位置あたりかもしれない。
