京都・名古屋旅行4日目:4/21(火)に見学した本丸御殿は、とても興味深く、見応えもあった。備忘のため、記憶が薄れる前に、今回は別に取り上げておく。
◆本丸御殿の概要(Webサイトより)
本丸御殿は、尾張藩初代藩主の住まいとして1615年に完成。藩主が1620年に二之丸御殿へ移った後は徳川将軍専用の宿泊所となる。1634年の3代将軍家光の宿泊に合わせて上洛殿や湯殿書院などが増築された。
しかし、その後1865年に14代将軍家茂が宿泊するまで約230年間利用がなく、明治時代以降は天皇や皇族の名古屋離宮として使用された。
1930年(昭和5)には天守とともに国宝に指定されたが、1945年(昭和20)の空襲により焼失。その後、御殿内を彩った障壁画・飾金具・彫刻などとともに復元され、2018年(平成30)に公開された。
(割と最近のことなので、本丸御殿をご存知ない方もまだ多いかもしれない)
●玄関・車寄
将軍など正規の来客だけが上がれる、本丸御殿への正式な入口。
唐破風屋根の堂々たる外観で、本丸御殿の中でも最も太い柱が使われているという。

◎参考:リーフレットから、内部平面図の一部。

本丸御殿の内部は、徳川の権威を示すため、部屋の格式や用途によって天井や欄間、飾金具、障壁画などの作りや意匠が変えられている。江戸時代初期に完成したといわれる武家風書院造という建築様式の特徴で、その様式美には武家文化の粋が息づいている。
●玄関~客間(二間)
訪れた人がまず通され、対面を待つ場所。障壁画は虎や豹など(竹林豹湖図)が描かれ、威圧感のある強い絵柄で藩主の力を誇示している。

●表書院(上段之間、一・二・三之間など)
創建時には、最も格式の高い間として、家臣や来客が藩主に謁見する公式の場所。格天井や折上小組天井。権威を象徴する力強い意匠(松竹禽鳥図)が描かれている。

●対面所(上段之間、次之間、納戸)
藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた部屋。黒漆塗折上小組格天井・上段之間は二重折上。京都や和歌山の四季の風物や名所(風俗図)が描かれている。

●上洛殿(上段之間、一・二・三之間、松之間など)
1634年の家光宿泊に先立ち増築された、本丸御殿で最も絢爛豪華な場所。
黒漆塗金具付格天井や折上格天井、黒漆塗二重折上蒔絵付格天井。豪華な金具装飾。
障壁画は狩野探幽による、きらびやかな金地彩色画(帝鑑図、雪中梅竹鳥図)。

・欄間には花鳥風月をあしらった緻密な彫刻が彫りこまれ、極彩色で彩られている。
・飾り金具は様々な場所に設えられ、こちらの釘隠しはリスとブドウの吉祥文様。

●廊下(玄関~対面所の廊下/鷺之廊下/上洛殿の廊下)
対面所までの廊下は格天井/鷺之廊下は対面所と上洛殿を結ぶ通路で、格天井は黒漆塗で装飾がなされ、長押の上まで障壁画が描かれている。/上洛殿の廊下は、障壁画に金地彩色画、彫刻欄間。天井は黒漆塗金具付格天井に紋の絵図。

●梅の間/上御膳所(上段)
・梅之間は、将軍をもてなす役割に任じられた尾張上級家臣の控えの間として使用。
・上御膳所では運ばれた料理を温め直し、上段で御膳・容器に盛りつけ将軍へ運んだ。

本丸御殿は、江戸時代の先端技術を注いだ近世城郭御殿の最高傑作と称えられるほど。
ただ実際に使用されたのは、冒頭の説明どおり2回のみ。何とももったいなく感じるが、元々京都に上洛する際に使用する宿泊施設なので、幕府が安定してくると京都へ行く必要性そのものが薄れていったのだろう。
空襲により焼失したのは、いかんともしがたい残念なこと。それでも時代は既に昭和になっていた。秀吉の大坂城とか江戸城が焼失した時代とは違う。
309枚の昭和実測図や約700枚の古写真、戦火を免れた1,049面の障壁画などの豊富な史料が大切に保管されてきた。そうした先人が残した第一級の史料があったからこそ、史実に忠実な復元が可能となった。
また2009年(平成21)1月から始まった復元工事には、大工や石工、左官、金工など現代の職人たちが参集し、彼らの手仕事によって工事の大部分が進められた。
この復元プロジェクトは、匠の技法を未来へ継承する場ともなった・・・という。
本丸御殿公開後も、上洛殿などの一部の天井画や障壁画の復元模写は継続されている。
撮影した写真がどの部屋なのか確認するために、名古屋城のWebサイト「VT(バーチャルツアー)本丸御殿」を見ていたところ、撮影した写真とVTで異なる箇所があり、公開後も復元模写作業が続いていることを実感した。
---*----*----*-----*-----*-----*------*-----*-----*-----*----*----*---
本丸御殿には、「月山松(がっさんまつ)」という丸太の輪切り材が展示されていた。
この松は天守閣の木造復元に使用予定で、岩手県奥州市の月山神社保有の境内山林で伐採されたもの。推定樹齢は350~400年、年輪が緻密で真直ぐな非常に品質の高い松材。
2023年3月に、同市出身の大リーガー大谷翔平選手が、WBCの壮行試合のため名古屋入りしていた際にサインを頂いたとのこと。エンゼルス時代の背番号17も記されている。

名古屋城天守の木造復元が実現した際には、是非再び訪れてみたいものだ。
(・・・いつになるのか分からないけど)