11月10日(金)、前回とりあげた日光田母沢御用邸記念公園を出た後は、金谷ホテル歴史館へ行く予定にしていたが、「憾満ヶ淵」の案内板を目にし先に行ってみることにした(清流・渓流好きなので)。
日光田母沢御用邸記念公園の東側にある小さな公園に車をとめていたので、そこから下流側に坂を下り、橋を渡り、上流側に行くと駐車場があった。位置的には、記念公園から大谷川を挟んだ反対側の上流になる。
駐車場から少し距離があった。本当にここでイイの?と思いつつ、でも、外国の観光客らしい方が前方から歩いてくるのでそのまま進む。すると山門があって、何これ?と再度不安になった。

山門をくぐりお堂の前を通ると、右側に樹々の間から渓谷が見え隠れするのでもう直ぐかと安堵・・・。
『憾満ヶ淵』(国指定名勝)は、男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝で、古くから不動明王が現れる霊地といわれている。川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くので、晃海(こうかい)僧正が真言の最後の句の「カンマン」を取り憾満ヶ淵と名付けたとされる。
晃海僧正は、この地に慈雲寺(じうんじ)や霊庇閣(れいひかく)、不動明王の大石像などを建立し、往時は参詣や行楽の人々で賑わったという。(現地説明板より)
清冽な流れの小渓谷といった様相で、人も少なく静かな景勝地だった。
溶岩が川の流れで削りだされたつるつるとした独特の地形や、大きな甌穴のような穴も見えたが、その辺りは樹々の枝葉が多くて撮るのをあきらめた。開けたのは霊庇閣の辺りから。

霊庇閣から深い淵を覗き見る。対岸の絶壁(巨石)には、弘法大師が筆を投げて彫りつけたという伝説のある「かんまん」の梵字が刻まれているそうだが、探しても分からなかった。

上流から霊庇閣のある下流側を見る。対岸の巨石の上には、かつて不動明王の石像が置かれていたが、明治35年(1902年)の大洪水で流失してしまった。この時に慈雲寺本堂、霊庇閣も流されたが1970年代に再建された。

現在、巨石の上に手すりがあり階段も見えるが、これは、日光植物園の園路の一部で展望台のようになっているようだ。(ということを後で調べている時に知った。日光植物園にも行ってみたいものだ)
そして、想定外の驚きがあった。歩道の山側には数多くの地蔵が並んでいるのだ。
『並び地蔵』は、天海(慈眼大師)の弟子たちが「過去万霊、自己菩提(かこばんれい、じこぼだい)」のために寄進したもので、全ての地蔵が川の方を向いている。
前述の大洪水で親地蔵と他の地蔵のいくつかが流された。また、参詣者がこの地蔵の数を数えてみると、そのつど数が違うというところから「化け地蔵」とも呼ばれるようになった。(現地説明板より)

上流側は歩道が緩やかにカーブしているため、座った地蔵の整列している姿が見渡せる。川の流れの音はしていたはずだが、静謐で神秘的な趣きだった。(こちらは戻りに撮ったもので右が山側)

地蔵はお腹のあたりから足の上は、苔でフカフカになっていた。

赤い帽子と前掛けは皆同じだが、首の向きや表情は地蔵ごとに異なる。こちらの地蔵は笑みを浮かべているような、何かを語りかけているような・・・。

観光客は少なかったが、思いもかけずの名所だった。
(日光・鬼怒川散歩、つづく)