9月21日(月)は、妻と川越市に行ってきた。我が家からはいつでも行ける、と思っていたままで今回が初めてのことだ。(通過はあるけど)
前日、行く場所を決めたものの、観光スポットを回れるだけ回ろうと思うと駐車場問題をクリアしないといけない。Webで調べてみると無料の観光駐車場があった。
当日9時半頃に駐車場に行くとほぼ満車。ぎりぎりセーフ!
ここからは川越市自転車シェアリングを使って移動することにした。基本料金200円、サイクルポートからポートまで40分以内なら何回利用しても追加料金ゼロ円。なかなか良いシステムだな。さっそく最初の目的地「喜多院」の最寄りのポートに向かう。
『喜多院』とは?冊子を読んだが一言で説明するのは難しい。Wikiでは「天台宗の寺院で山号は星野山(せいやさん)。良源(慈恵大師)を祀り川越大師の別名で知られる。建物はほとんどが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。」とのこと。
山門の前に天海大僧正の像があった。歴史小説では徳川家康のフィクサー(?)のように扱われることもある天海僧正は、喜多院の第27世法統だった。

1537年に合戦があり喜多院は焼失したが、1612年に家康は寺の復興を天海に命じた。
その後、復興して寺勢をふるっていたが、1638年川越大火で山門以外はすべて焼失した。
今度は、三代将軍家光が復興を担い、現存する建物を再建し、今日文化財として保存されている。
焼失を免れた山門(国重文)、喜多院では現存する最古の建物がこちら。

約380年前のもの。木組みが立派。「丸に二つ引き両」の紋入り。

山門の南側には、2階建ての階上に梵鐘を吊るす鐘楼門(国重文)がある。1階には袴腰(はかまごし)と呼ばれる囲いが付き、2階の前面には竜、背面には鷹の彫刻がある(画は背面)。門だけど潜れない。

慈恵堂(県指定)は慈恵大師を祀り大師堂と呼ばれる。いわゆる本堂。入母屋造。

手前の広い舞台(?)と階段部分は後付けのようだ。安全面から付けたのだろうか。

棟には金の「丸に二つ引き両」。懸魚も大きい。銅板葺。↑とこれは墳丘の上から撮る。

慈恵堂に向かって右手に多宝塔(県指定)がある。総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、下層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根。江戸時代初期の特徴が表れているという。

青い空に見上げる塔はイイ感じ。ちなみに多宝塔は「二重の塔」とは言わない。

慈恵堂の北側には、廊下でつながっている客殿、書院、庫裏・寺務所(全て国重文)がある。これらは家光が復興する際、江戸城紅葉山の別殿を当地に移築したもので、客殿に「徳川家光公誕生の間」や書院に「春日局化粧の間」があるのはそのため。
昔の台所で拝観料を払って、各建物内を回る。建物内撮影禁止なので画は無し。
内部にはパネルでの展示・説明や用具、武具、船箪笥など。「三つ葉葵」の紋がいたるところにあった。
庭はOKなのか皆さん撮っていた。客殿からの庭。紅葉の頃はキレイでしょう。

書院からの庭。両庭とも外から眺める所はないようだ。

拝観料には五百羅漢も含まれる。建物から出て、山門近くの五百羅漢に向かう。
「川越の観光名所の中でも、ことのほか人気の高い喜多院の五百羅漢。」と喜多院のWebでも記されているほど人気はあるのだろう。

全部で538体が鎮座しており、さまざまな表情に加え、いろいろな仏具、日用品を持っていたり、動物を従えていたりと、変化に富んでいる。

個人的に気になった「お酌の羅漢」。お猪口に25円。激安。

Webやガイドブックでもよく使われている「内緒話の羅漢」。妻と二人で探したサ。

ところで、歴史からすると「三つ葉葵」の紋が使われても良いのに、建物には「丸に二つ引き両」の家紋が使われている。この家紋は足利市の鑁阿寺でも見たがどういうことだろう。
調べた限りでは、「丸に二つ引き両の紋は、天海僧正が持つ2つの家紋のうちの一つで、今は喜多院の寺紋」とのこと。では何故、天海僧正がこの家紋を使っていたのだろう。足利氏と関係あるのだろうか?・・・ハッキリしない。
ここまで、画を整理し調べたりしながら書いているが、喜多院の歴史は面白いと思ったし、歴史と合わせて見ないともったいないとも思う。
ひょっとしてと調べてみたら、やはりというべきか『新訂 旅と歴史』(薄苛脳70さんのブログ)では詳しく掲載しているので、参考のためにリンクを貼らせていただきます。
http://tabireki70.blog114.fc2.com/blog-entry-367.html
喜多院に関しては、もう少しあるけど長くなったので・・・次回に続く。