シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

加島屋、六文銭、多町

5月10日、神田にある馴染みの角打ち『加島屋酒店』に行くことになった。

その前に・・・、昼に歯医者に行ったために満足にランチをしていなかったので、小腹を満たすため先に真向いの『六文そば』に寄った。
 
六文そばは、げそ天=「いかげそそば」が有名と聞き、以前一度行ったことがある。黒っぽい濃い目の汁、黒っぽいげその天ぷらは独特だ。蕎麦の味、汁の味、天ぷらの味など、それぞれがどうこうではないココでしか味わえないそばには熱狂的?狂信的?なファンが通うという。
 
すぐ近くには、あの『神田やぶそば』や『まつや』がある。さらに周辺には『小諸そば』『ゆで太郎』『富士そば』などのチェーン店もある。なのに・・・すごい。
 
2回目のこの日は、時間が遅かったこともあり天ぷらはかき揚げだけ。それを頂いた。ん~個人的な好みとは若干違うけど、また食べたくなるような感じ。
 

その後の加島屋酒店では、ビールをちょっと飲んで、コップ酒を3杯いただく。
いつも、お店のお母さんがいると一緒に話しながら飲んでいるのだが、今週末は「日本三大祭り」の一つ『神田祭』が行われることもあり、その祭や地元神田のことが話題に。
 
「エッそうなの!?」と思ったのは、神田多町(かんだたちょう)という地名のこと。
一般的に町名は○○町一丁目、二丁目、三丁目と続くが、多町は一丁目が無い。あるのは二丁目のみという。またぁ~イイ大人にそんな冗談はやめてよ~と言うが、本当だった。
 
何でも、以前は一丁目があったけど、住居表示の変更で内神田になってしまった。では何で二丁目が残ったかというと、住民の反対運動によるそうで、それが認められてたのは歴史があったからだという。
 
気になったので調べてみると・・・・・慶長8年(1603年)、徳川家康は幕府を開いて全国支配の中心とするとともに、神田・日本橋・京橋で町づくりを始めた。
寛永年間(1624年~1644年)以前に成立した町を江戸古町(こちょう)といい、神田には22の古町があった。慶長11年(1606年)に起立した「田町」も江戸古町のひとつであり、神田で3番目にできた町。〈歴史があるんだね。反対運動も納得〉
 
昭和8年(1933年)に町名地番が改編され、330年続いた(旧)多町一丁目と(旧)多町二丁目などが合併し、現代の多町二丁目町になり、当時の竪大工町や新石町が新たにつくられた(新)多町一丁目になった。〈何故この時に古い町の方を一丁目にしなかったのだろう?〉
 
そして、昭和41年(1966年)の住居表示の実施で(新)多町一丁目が内神田三丁目に編入されたために、今は多町二丁目だけになったとさ。
 
同様に、神田司町二丁目、神田鍛冶町三丁目も訳あってこれのみ。
神田は古い町なので、町が細かく多数ある。町名にも歴史ありの町だ。
 
ちなみに、残念(?)ながら町名が変わった多町一丁目も、町会名は「多町一丁目町会」で変わってない。住民の意地かな。