シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

「停車場」という名称

以前取り上げた薄荷脳70さんのブログでは、ついに東京赤煉瓦駅が完成した
完成したのは1914年(大正3年)だが、建設計画発表から完成する直前までは「中央停車場」と呼ばれていたようだ。

11日の「鉄道の日」に、hiiragiさんのブログで上野駅にある石川啄木の歌碑が載っていたが、啄木が「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と詠んだのは明治のようだ。

この「停車場」というのが気になったのでカチャッてみると、Wikiには「明治時代に日本に鉄道が導入されたとき、列車が止まる場所はみな停車場と名づけられた。しかし利用者はこれを駅と呼ぶことが多く、鉄道関係者も時に停車場、時に駅と用語を混用した。時とともに駅が優勢になった・・・」そうだ。

その後「1936年(昭和11年)の鉄道省の職制改正によって、停車場と駅の呼び分けが明確になり、一般の会話から停車場という表現は少なくなっていった」らしい。
(鉄道用語では駅・操車場・信号場を総称して「停車場」というようだ。)

日本の代表的な中央駅である東京駅が、大正3年に停車場ではなく駅名で名付けられたのだから、昭和の初めの頃にはもう「駅」が一般的だったのだろうと思われる・・・のだが、何がひっかかっているかというと石橋正次さんの『夜明けの停車場』という歌。

♪夜明けの停車場に ふる雨はつめたい
 涙をかみしめて さよなら告げる~

今でも1番の8~9割は諳んじることができる。けっこう売れたのだろう。
いつの歌なのか調べてみると1972年(昭和47年)だった。初出場となったこの年の紅白でも歌っている。(まぁ、それはさておき、)

昭和47年なのに「停車場」なのだ。歌詞的には、別れたくない女性をおいて一人で旅にでるので「駅」であることは間違いない。決して「操車場」でも「信号場」でもない。

ひょっとして、バス停のことを「停車場」と言っていたのかも。改めて歌詞をみると、2番の出だしが ♪一駅過ぎるたび 悲しみは深まる~ だった。こりゃ~駅だなやっぱり。

ん~当時の「停車場」という名称はどんな意味合い?イメージ?だったのだろう。
鉄道が通らない田舎町(今も通ってない)で育った、当時の子供には分からないな~。