シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

火の見櫓のこと

どこででも見ることのできる火の見櫓だが、そもそも・・・を知らないので調べてみた。せっかくなので概要をメモしておこう。

江戸時代の江戸では、町ごとに番屋を設置し番人を常駐させて24時間態勢で警戒にあたるのが一般的であった。このとき番人が町全体を見渡せるよう番屋に櫓を組んで一段高いところに見張台(望楼)を置いたが、これが火の見櫓のはじまり。
その後、火の見櫓は火消体制とともに整備されてゆき、昭和初期には全国ほぼ全ての地域に整備されていった。

当初はもちろん木造で、鉄製の櫓が出はじめたのは明治の後期になってからのこと。戦時下金属供出で解体された櫓も数多くあったというが、戦後は再建されるとともに各地で急増し昭和30年代後半がピークだった。

鉄造とはいえ、規格品・標準設計が存在するわけではなく、当初は地元の鍛冶屋さんが工夫しながら制作していた。そのため、形態はその制作者の好みとセンスに負うところが大きかったようだ。


現在よく見る火の見櫓は4本足に鉄骨を櫓状に組み見張台、半鐘、屋根がついているものだが、屋根がなく見張台のみのタイプ、屋根も見張台もなく半鐘だけのタイプもある。
また、構造も3本足のタイプがあったり、中には1本の柱状のタイプ、梯子状のタイプ、鉄骨で組んだ柱状のタイプ、消防詰所や小屋を備えたタイプなど様々。

1本柱で3段ほど上れば半鐘に手が届く低いものから、ビルの7~8階建ての高さに相当する高いものもあったという。さらに、江戸時代尾張の伝馬町火の見櫓は49mもある木造建築だったとか。


近代防災体制の一翼を担ってきた火の見櫓だが、今ではほとんどスピーカーの設置とホースを干す場所としての機能しか残されておらず、使われなくなり邪魔者として撤去されることも多い中、文化財としてその意義を評価し、国や自治体によって文化財に指定されている櫓もある。(調べようとしたら文化庁のデータベースは只今休止中!)

個人的には、見ていて面白い建造物だと思うし、地域とともに在った火の見櫓なので保存されてほしいと思う。

最後に、火の見会(火の見櫓からまちづくりを考える会)という組織のWebサイトに「なるほど~」ということが記されていたので転記しておこう。

・火の見櫓は日本だけにしか存在しない構築物であること
・火の見櫓には次のような歴史的文化的な価値を見出すことができること
 (1)地域防災のシンボル的価値
 (2)地域の風景としてのランドマ-ク的価値
 (3)プロポ-ション、屋根、見張台等に見られる建築のデザイン的価値
・火の見櫓は生活の安全と安心をめざす公共的施設であり、地域の人々によって支えられ、維持管理されてきたこと

 このようなことから、火の見櫓の存在意義を確認し、再評価し、保存・活用を図っていくことは、地域の歴史・文化を次世代に伝え、受け継いでいくことであり、地域の貴重なストックを活かすまちづくりをすすめていく上で重要であると思います。