
昨日、十日町(雪まつり)のことを日記に書きつつ、十日町といえば地元の民謡もあったな~と。盆踊りの時にも使われていた。♪越後名物数々あれど 明石ちぢみに雪の肌~んっ?この後なんだっけ?で、調べてみた。
(十日町や民謡に興味の無い方はここまでにしたほうが?ちょっと長くなったので)
(写真は旅館原田屋の古いページにあった。撮影・提供は大島氏。お借りしました)
「十日町小唄(以下「この唄」という)」は昭和4年、十日町織物のPRを目的として、永井白ビ、中山晋平のコンビに依頼して作られた歌とのこと。
「しゃぼん玉」など童謡でも知られる中山さんは、この唄の4年後に売り出された「東京音頭」の作曲もしている。中山さんは「この唄」のためにいくつか曲を書き、採用されなかった方の曲が東京音頭になったとの逸話もある。実際、出だしがちょっと似ている?作詞家の永井さんは…どなた?
日本の代表的新民謡として確固たる地位を占め広く多くの人々に親しまれています。と十日町観光協会のサイトでは紹介している。ちょっとオーバーだろうと思いつつ、詞を見ると…
『十日町小唄』
1.越後名物 かずかずあれど
明石ちぢみに 雪の肌
着たらはなせぬ味の良さ
※テモサッテモソジャナイカ
テモソジャナイカ (これを以下繰り返す)
2)娘ざかりを なじょして暮らす
雪に埋れて 幾仕事
花の咲く間じゃ 小半年
3)窓にさらさら 粉雪の音
聞いて眠れぬ 夜もすがら
やるせないぞや 雪明かり
4)人が見たらば 横丁へよけて
雪のトンネル 隠れ場所
恋の抜け道 まわり道
・・・以下、18番まであるので略す
感想1:民謡なので何番かはあると思っていたが、18番って!そんなに長い唄だとは知らなかったのでビックリだ。(全て見たい時はコチラを参照)
感想2:地元・雪国の情緒を語っているとの認識をもっていたが、どうでしょう4番の詞は。よくよく読めば18番中4つ5つはこのような恋の唄だ。でも、考えてみればそういうものかもしれないな。私はこの4番の唄がいたく気に入った。(で、上のような写真も探してみた。)
感想3:何気なしに何度も何度も聞いていた「テモサッテモソジャナイカ テモソジャナイカ」ってなんだ?「ソジャナイカ」というのは「そうなんじゃないの」「そうでしょ」というような意味かな?「テモ」は辞書で検索すると《「さても」の音変化》とあり「さてもまあ。なんとまあ。」という意味だ。「サッテモ」も同じような意味だろうか?方言?
カチャカチャしていて十日町小唄の事を取り上げているのを見つけた。東北文庫というサイトで「東北見聞録 2 歩く・会う・語る・住む 黒田四郎 著」の立ち読みコーナーで紹介していた。 これによると、
作曲者・中山が囃子言葉の出来不出来によってその曲の生命が決まると強調し、あれこれと考えた結果「テモサッテモ ソジャナイカ テモ ソジャナイカ」が浮かび、これを囃子言葉と決定したそうだ。なるほどそうなのか「…で、意味は?」と思ったが、囃子言葉だからそこはそれほど突っ込むところではないのだ、と納得。
それに、十日町小唄は当初「サッテモ節」と名付けられ、十日町小唄は副題だったという。中山さんがそれだけ囃子を重視していたことの表れですね。その後、昭和30年代になってこの名が定着したようです。他にも…
この唄の生まれた昭和4年は民謡ブーム。織物の宣伝のために民謡をということで、織物の技術指導を受けていた松坂屋意匠研究担当者・永井豊太郎に相談した結果、永井が作詞することとなり永井白シ眉という号で作詞した。
当時売り出していた明石ちぢみのコマーシャルソングとして全国に先駆けて誕生した。この発表会には水谷八重子らも招き、町を挙げて盛大に行なわれ、宣伝も大いにされた。
昭和4年6月発行の中山晋平の編集により山野楽器店より楽譜として出版された『中山晋平新民謡第九集 越後十日町サッテモ節』の表紙は、竹久夢二による大正ロマンの薫り高い美人画。夢二は明石ちぢみのポスターも描いており、十日町小唄の普及に一役買っている。
昭和35年には『週刊サンケイ』誌で全国新民謡の第一位となった。
また、十日町市は津軽じょんがら節、八木節などの元唄となり日本民謡のルーツといわれる新保広大寺節のある町である。
作詞家のことも分った。協会の紹介文もあながちオーバーではなさそうだ。知らないことばかりだった。民謡に歴史あり。エライものです。