平成16年10月23日(土)午後5時56分、新潟県中越地方を震源地とした「平成16年新潟県中越地震」が発生した。あれから10年経った。
↓地震の翌月、やっと帰省した時に撮った画。周辺の道路とAコープの裏。


《以下、2006年10月24日、震災後2年目の日記から転載》
私の実家は2年前の中越地震で被災した。
地震の中心地からは少し離れているため、町全体での災害は少ない方だが、私の実家は国道を作るために盛土をした場所の斜面にかかっており、地震で建物が1mくらい沈下?し、少し傾いた形で止まった。
冒頭の写真は実家の近くの道路ですが、道路の左側に建物があったと想像してみて下さい。実家の前に亀裂がはしり高い基礎ごとそのままの形で下に落ちたような感じだ。
周りの家では壁にひびが入ったとか、窓ガラスが割れたようだが、実家は物は落ちたというが建物自体はほぼなんともない。地盤が弱かったため建物の揺れを吸収したようだ。(しかし、地盤や基礎なので治すのは大変・・・)
そして、避難所の生活となった。
実家は商売をしているが、なんとか再開できたのは翌年のGW前だった。
2年前、私は前の会社で業界の視察旅行が催され、会社の代表として参加することになった。行き先はタイで工場や研究所を訪ねるのが目的。
朝、成田を出発し、現地のホテルにつきTVをまわしていたらNHKが映る。衛星放送なのだろう「さすがNHKだな~」と感心していたら、震災のニュースだった…「エッ!」。
実家には何度電話しても繋がらない。嫁さんに電話したら連絡があったという。人は大丈夫だと分かり一安心した。ただ、被害状況が分からないし、地元には親戚や友人もいる。どうなっているんだ!?
徐々に人の安否や建物・道路の状況が分かってきた。国道は寸断されしばらく通れないし、他の道はどうなっているのか分からない、余震は続いているのでまだ危ない、来ないほうがよい…という。
気持ちは焦っていたが、家(埼玉)にいても何もできないのは同じ。気落ちしてもしかたない…。
旅行中、一人でいる時に「どうですか?」と聞いてくれる人もいれば、その話をあえてしないで、声をかけてくれる人もいる。中には阪神で震災にあった方もいて、二人で話す時には特に気遣ってもらった。
忘れない。忘れられない出来事だ。