(悲しい出来事だけど、書き留めておく)
2025年1月16日(木)、妻から連絡があり、私の返信は「早いよ~、何だよ~」だった。
義母は12月に左足が腫れあがり、かかりつけの病院に行くと総合病院を紹介された。医師の見立ては肝臓癌。常用している薬のため出来ない検査があるうえでの“見立て”と聞いた。見舞いに行くと、足はともかくいつもの義母だった。
12月末からは、思っている事ができない状態が生じてきた。義弟は退院から義母宅に寝泊まりしていた。
1月4日に年始の挨拶に行った時は、食事量は少ないものの、それ以外は変わらないように見えた。ただ、箸で上手くつまむことができず、食後に楊枝で甘納豆を刺せた時に拍手したら、子供みたいだなと笑っていた。
しかし、日を追うごとに身体が思うように動かなくなっていった。かかりつけの医師の意見もあり、1月8日に脳検査を行うことになった。結果、脳に異常はなく、高齢者てんかんと診断された。でも話は普通にできていた。
義弟だけでなく、妻と義妹も交替で義母宅に泊まるようになったが、皆仕事もあるのでデイサービスのショートステイと老人ホームへの入所を早急に検討し、義母も同意された。
手続きの日程から、まずは平日の1月15日から2泊3日のショートステイをし、翌週から老人ホームに入所することになった。13日に一泊した妻からは義妹と一緒だけど食事をとるのも大変だったと聞いた。
ショートステイの2日目、吐血し救急車で運ばれる事態になり、妻ら3人の子供が駆けつけた。面会した後、義母宅で待機となった。
そして21時半過ぎ、妻から急逝の連絡があった。
その後に話を聞くと、肝臓癌から敗血症が急激に進んだのではないかと推察される。
喪主となる義弟を中心に葬儀の手配が進み、斎場などの都合で1月22日に通夜、23日が告別式となった。告別式当日に精進落としの献杯を頼まれたが、言葉が詰まってグダグダになってしまった。
義父が旅に出てから17年と約8か月。行く先でもう出会えたことだろう。先に逝くから自分だけ歳をとったと嫌味を言い、でもひ孫の顔を見れたと羨ましがらせているに違いない・・・・・。
(なお、この葬儀の日程により、浅草観光(18日)は何事も無かったかのように、予定通り実行することとなった。)
実家の兄は、1月10日に検査をし、すぐに入院するように言われたが、入院できたのは16日になった。
その兄から1月27日に電話があった。父親が入院する病院の主治医から、熱が続いているので病状の説明をしたいと連絡があり、代わりに自分の息子と私に行ってほしいと頼まれた。
病院に連絡して先生の都合を聞き、息子と調整したうえで、1月31日(金)に行くことになった。
会社の休みをとり、妻も行けることから2人で朝8時半頃に出発。〈関越道の塩沢石内ICから六日町ICが通行止めになり間に合わないかと思われたが、湯沢辺りで解除となり〉大雪の中、病院に到着した。
主治医の話は、~誤嚥性肺炎の影響で熱が上下していて、抗生剤にも耐性ができ効かなくなっていた。しかし、3日前から別の抗生剤を試したところ現在は落ち着いている。ただし再度耐性ができる可能性もあり、肺炎なので急変することもある。心構えをしておいて。~というものだった。
食事中の父親と面会できたが、11月末に会った時と異なり、表情が乏しくほぼ無表情。認知症が進んだのか、私の事を分かってないように見えた。右手でスプーンをゆっくりと運ぶが、左手や上体は動いてなかった。
その後、息子と別れ、車で1時間ちょっとの兄が入院する病院へ面会に行く。
難病指定の病気を患い、VEXAS症候群に間質性肺炎にもなり、1月3日から胃腸の具合が悪くなっていた。体力が落ち免疫力も下がる。
個室で動けない状態でいたが、多少は話せて良かった。回復を祈る。