シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

赤穂義士と高輪「泉岳寺」

東京の地下鉄、都営浅草線に「泉岳寺」という駅がある。2月13日(水)、社用で初めて下車した。

恥ずかしながら「泉岳寺」という駅も名前もピンとこない単語だった。なので、行くときの車中で同行した方に「泉岳寺って、そういう名前のお寺があるんでしょうかね~」なんて、ちょっとおちゃらけて聞いたものだから、その後に「え~、知らないの~」と、残念な感じでアレコレ言われることに・・・。

歴史小説とか時代小説とかは読むほうだと思うけど、大河ドラマは見ないし、ストーリーが分からなければ興味もわかないし、天邪鬼気質があるのは否めないし・・・、要は忠臣蔵赤穂浪士の討ち入り)を気にする機会はなかった。

社用を終えて駅に戻る途中、昼の休憩時間になるし、せっかくだからと泉岳寺に立ち寄ることになった。

道路に接する門は、中門だった。元々三門と言って三つの門(総門・中門・山門)があったが、現在は中門と山門のみが残っているようだ。上半分が見えない額は「萬松山」。先に山門が見える。


中門を抜けると右側に大石内蔵助吉雄銅像がある。


山門は、通行禁止になっていた。何故そのように?。正面右側から入る。


本堂。額に「獅子吼」とあり、獅子が吼える?そんなわけないだろうけど何で?と思って後で調べたら、「獅子吼」は「ししく」と読み、お釈迦様の説法のことを指すそうだ。


山門を背にして、左奥に赤穂義士墓所がある、私以外の3人は、ここが目的とサクサク歩いていく。


この案内板には、お墓の配置が記されていた。47士だが、墓碑は48ある。何故かと言うと・・・書かない(詳しくはWebで)。


中門と山門の間には、幾つかのお店があった。あるんだ~という感想。お土産屋さんには忠臣蔵にちなんだものが並んでいた。これを一年中置いて成り立つってことか。

 

ちなみに、萬松山「泉岳寺」は、慶長17年(1612年)、徳川家康が幼年、身を寄せた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田の地に創建し、門庵宗関和尚を迎えて開山となした。
赤穂藩主浅野家の菩提寺であったことから、元禄15年の義挙(1702年12月14日)の後は、赤穂四十七義士の墓所としても知られるようになった・・・ようだ。

この立ち寄りのおかげで、忠臣蔵に少し興味を感じた。惜しむらくはもっと時間があれば良かったな。