千葉県~茨城県はほとんど訪れることがないので、地理的にあやふやな所が多い地域。千葉県の茨城寄りに「印旛沼」があることは知っていたが、先日、hiiragiさんのブログをみていたら、「印旛沼」は「北印旛沼」と「西印旛沼」に分かれている…という。
えっ2つに分かれている?しかも、北と西?…南と東はないの?・・・ということで、カチャってみることにした。
地図で確認したところ、確かに2つに分かれている。位置的には北東と南西だ。(北・西というから、私のように勘繰っちゃうよね~)
沼とはいっても面積はけっこうある(茨城の霞ケ浦に比べれば小さいけど)。
調べてみると、11.60平方キロメートルで全国で26番目。前後は、
25番目:「中禅寺湖」11.62平方キロメートル
27番目:「池田湖」10.9平方キロメートル
九州最大の湖より大きく、あの中禅寺湖とほとんど同じ大きさだ。
ただ、沼なので水深は浅い。平均1.7m、最大2.5m。貯水量は…。
2つの印旛沼は、直線の水路とUの字型の水路でつながっている。Uの字は不自然な形状なのだが、その昔、ここも沼の一部だったという。つまり、もともとは2つに分かれていなく、W字型のより大きい沼(面積は2倍強の26平方キロメートル)だったという。
これにはプチビックリだが、このU字型(沼中央部)が中央開拓地として造成されたのが、1969年(昭和44年)というから「新しいじゃん!」と感じましたね。
もともと洪水被害の多い地域で、洪水対策+新田開発が行われたわけだ。
カチャっていたら「100年前の印旛沼*1」の地図を見つけた。
開拓された面積の広さがよく解りますね~。面白いですね~。
*1 http://www1.odn.ne.jp/evening-project/innba-100.htm
さらに「約1,000年前における関東地方の水系と印旛沼*2」によると、印旛沼・霞ヶ浦・北浦などもろもろは、一つの大きな内海「香取の海」だった!という、スゴイ!
*2 http://www.i-kouiki.com/imbanuma-page06a.htm
この大きな内海は、流入する河川が運んでくる土砂等の堆積や、海退によって徐々に陸化し、縮小。印旛沼や手賀沼などのような小さな入り江は陸化から取り残され、湖沼化へ。それが、江戸時代の河道改修事業でクッキリと印旛沼になったようだ。
印旛沼に歴史あり!・・・ですね。