川越大火(1638年)の後、喜多院の慈恵堂:大師堂をはじめ様々な建物が再建されたが、その中には東照宮や日枝神社もあった。その後、明治維新の神仏分離令から東照宮、日枝神社は別管理となっている。
その仙波東照宮(国重文)は喜多院の敷地続きの南側にあった。東照宮なので、東照大権現である徳川家康を祀る神社である。日光はもちろん上野や他にもあるとは知っていたけど、調べてみると東照宮は全国で約700社あったようで、現存するのでも約130社あるようだ。
その中で、仙波東照宮は天海大僧正が家康を祀った神社で、日光、久能山の二社+もう一社として日本三大東照宮の一つといわれている。
徳川家康の亡き後、遺骨を久能山から日光に至る道中に喜多院に寄り、天海大僧正が4日間法要をあげた。その後天海は高さ五間の丘陵を築きあげて立派な社殿「仙波東照宮」を造り上げたという。
東照宮の建物は全て国重文で、まずは随身門(ずいしんもん)という朱色の門。人が途切れたところを狙ったわけではなく、しばらくはこのまま。喜多院に来られた方でも、東照宮の方までは(まして門までは)来られないようだ。

参道の途中には石造りの鳥居。これにしても約380年経つ。

石段を上る。拝殿前には手水鉢と狛犬。これらは江戸城から移設したものだとガイドの方が話していた。2対の狛犬は埼玉県最古の狛犬とされている。(↓同じ向きになってしまった)

朱色の拝殿。最初は後ろの本殿などが見えなかったので、小さいな~と思った。

拝殿の後ろには唐門~本殿。画は縦格子の塀の隙間から撮ったもの。普段は敷地に入れない。華美な装飾はないものの、威厳を感じる佇まい。

ちなみに、仙波東照宮は現在、市内の川越八幡宮が管理している。
日枝神社(国重文)は、喜多院山門の目の前に所在する。有名な赤坂の日枝神社は、太田道灌が江戸の地に城を築くに当たって、ここから江戸城内紅葉山に分祀したもので、その後赤坂に移された。つまり、赤坂日枝神社の本社になる。
しかし、残念なことに今回立ち寄ってない。そのような情報知らなかったし時間もないし・・・。
他にも、前回取り上げた喜多院のことを調べていて、なるほどね~と思うことがあった。
喜多院は、平安時代、淳和天皇の勅により天長7年(830年)慈覚大師円仁により創建された勅願所であって、本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等を祀り、無量寿寺(むりょうじゅじ)と名づけた。これは喜多院の冊子・Webからの抜粋。
ただし、この無量寿寺には、仏蔵院、仏地院、多聞院の3院があり共に無量寿寺という一つのお寺だった。仏蔵院はのちに北院から喜多院に、仏地院はのちに中院、多聞院はのちに南院と呼ばれるようになった。
天海大僧正が喜多院(北院)の住職となり復興するまでは、中院が無量寿寺の中心的な役割を果たしていたが、川越大火で喜多院と同様に焼失。仙波東照宮建立の際に中院は南側に移動し再建した。
現在、喜多院は年間を通して多くの参拝客が訪れ、中院は天台宗別格本山の称号を授かり川越の名刹となっている。
しかし、南院は・・・明治初年に起きた神仏分離~廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃院となり、現在は住宅地になっている。その近くに当時の南院にあった石碑や石仏を集めた一画が「南院遺跡」として残るのみ。
そうと知っていれば、中院や南院遺跡にも立ち寄ったのにな~。いつになるか分からないけど次回は日枝神社も含めて周辺を歩いて見ようと思う。